十万石
商品について

戦後、人を癒すお菓子作り

十万石写真

 「うまい、うますぎる」は、埼玉県民ならみんなが知っているCMのフレーズ。40年以上変わらない、埼玉銘菓「十万石まんじゅう」のCMです。
 代表取締役の横田康介さんによると、十万石まんじゅうは「どなたでも召し上がれて、親しんでいただけるお菓子を作りたい」という想いから生まれたもの。十万石まんじゅうが生まれた1952年(昭和27年)頃は戦後間もないこともあり、甘いものが人の癒しでした。創業者の横田信三は戦前から菓子屋で修行していたため「菓子作りの技術を使って人々に貢献したい」と十万石まんじゅうを考案し、製作に挑みます。

材料から美味しくなければいけない

 創業時から「美味しいお菓子を作るためには、材料から美味しくなければいけない」という考えを持っていました。そのため創業時から素材には徹底的にこだわり、今もその想いは貫かれています。材料にこだわるのは「当たり前のことですが、それを“続ける”のが難しい」と2代目で現在代表取締役をしている横田さんは言います。
 例えば、十万石まんじゅうの皮生地には山芋が使われています。山芋が「薯蕷(じょうよ)」と呼ばれることから、山芋を使ったまんじゅうは「薯蕷饅頭」と呼ばれるとか。十万石まんじゅうのしっとりした食感は、この山芋によるもの。一般的なおまんじゅうは時間が経つとパサパサしてしまいますが、十万石まんじゅうは、山芋の保湿力によって長い間しっとりした食感が保たれるそうです。ただ、当然ながら山芋であればなんでも良いわけではありません。十万石まんじゅうに使われるのは、高価で希少価値の高い厳選した国産大和芋・つくね芋。ただでさえ入手しづらい山芋で、さらに農家さんの高齢化によって、入手が難しくなってきているそうです。
 また、十万石まんじゅうはきめ細かなお米の粉で作られています。関東地方では小麦粉を使っておまんじゅうを作ることが多いそうですが、十万石まんじゅうは“米”にこだわります。使うお米は新潟県産コシヒカリに限定。そして、特にこだわっているのが小豆。小豆選びの条件は、産地を北海道十勝地方に限定すること。そして、虫食いや割れの無い品質の良い小豆であること。ただ北海道十勝産の小豆であればOK、というわけではないのです。
 難点は、お米も小豆も気候によりかなり左右される農作物であること。ここ数年は気候条件が悪いのか豊作とは言えず、お米や小豆自体の質も低下しがちです。「“材料から美味しくなければいけない”という想いを貫くことは、年々難しくなっています」と横田さん。材料にこだわり続ける努力は、並大抵のことではありません。十万石まんじゅう一つひとつに込められた努力を知ると、より味わい深く感じるのではないでしょうか。

版画家・棟方志功が描いた包装紙

 十万石まんじゅうを説明する際、世界的な版画家である棟方志功先生について語らないわけにはいきません。十万石まんじゅうと棟方先生の出会いは、1953年頃(昭和28年)。当時、創業者は包装紙についてどうしようか悩んでいました。そんな中、棟方先生の作品を見て「これだ!」とひらめき、さっそく十万石まんじゅうを持って訪ねると、甘党だった棟方先生は一気に5個食べ、6個目に手を伸ばしながら「うまい、行田名物にしておくにはうますぎる!」と言います。そして絵筆を持って描きあげたのが、現在も十万石まんじゅうの包装紙に使われているお姫様の絵。これは、忍城のお姫様も食べたらきっと同じことを言うだろう……という想いで描かれた絵だそう。
 「絵を描いてしばらくしてから、棟方先生は世界的な版画家となりました。インパクトのある絵なので、ありがたくずっと使わせていただいています」と横田さんは語ります。

店舗について

十万石まんじゅうの人気に後押しされ、屋号を「十万石」に

十万石店舗写真

 1952年(昭和27年)、行田市本町通りに「福茶屋」で創業。十万石まんじゅう」を主力商品として、和菓子の製造・販売をはじめました。十万石まんじゅうが生まれたころは戦後間もないため、お砂糖は配給品。そのため、お菓子作りができるようになるまでは繊維業に従事していた時期もあるとか。
 「十万石」の由来は、江戸時代にまで遡ります。行田市は当時「忍藩」に属しており、忍藩のお殿様の石高が十万石だったことから、行田名物として「十万石まんじゅう」と名づけられました。この地でとれたお米は「美味しい」と評判だったことから、十万石まんじゅうの形も一般的な丸型ではなく、俵型をしています。当初は「福茶屋」として営業していましたが、十万石まんじゅうが人々に受け入れられ、徐々に「十万石さん」と呼ばれるように。そこで屋号を「十万石」に会社名を「十万石ふくさや」と変え、今につながります(県内に35店舗)。

高い品質を保つための企業努力

十万石店内写真

 十万石ふくさやの朝は早く、通常時でも5~6時、繁忙期だと3~4時からスタートします。というのも、「極力作りたてをお客様に提供したい」という想いがあるから。材料に対するこだわりはもちろん、「作るほうの努力も必要」と横田さん。そうやって、高い質を保ち続けているのです。
 高い品質を保ち続けるための企業努力の一環として、十万石ふくさやは早くから機械化を始めた。いつでも同じ味、同じ質のまんじゅうを出すため、職人の感覚に頼るのではなくいつも同じものができるようにと機械化を進めたとか。この設備は、十万石まんじゅうに特化したオリジナル。いつ買っても同じように美味しい安心感は、このような工夫にも表れています。

官民一体となり街を盛り上げていく

 行田市が活性化する未来に向けて、「官民一体となって動いていこう」という機運が高まっていると横田さんは言います。行田名物・十万石まんじゅうにも果たす役割がありそうです。例えば、ドラマや映画の舞台に行田市が選ばれた際、その接点にからむことで、地域の盛り上げにつながることも。2017年にヒットした『陸王』は、行田市が舞台のドラマでした。作中に十万石まんじゅうが登場するということで、十万石では「陸王」の焼き印を入れたオリジナル十万石まんじゅうを販売。それがびっくりするほど売れたと言います。「行田市が観光地を目指すうえでなにかからめられるものがあるのならば、うちも盛り上げに貢献したい」と横田さんは語ります。

可能性を秘めた歴史ある街

街の魅力

 横田さんいわく、行田市は魅力はあるが、まだ知られていない街。行田市には、42種類12万株の蓮の花が咲く「古代蓮の里」や1500年前の史跡を見られる「埼玉古墳群」など、歴史的なスポットが点在しています。“知られていない”ということは、まだまだ可能性があるということ。横田さんは、行田には秩父のように人気観光地となる未来もあるのでは……と希望を語ります。「昔は秩父も、行田のようにあまり人の来ない地域でした。でも秩父を舞台

街の魅力

にしたアニメが人気になったことで『秩父にはいろんな魅力がある』と再発見され、人々が来るようになったと聞いています」と横田さんは言います。まだ知られていない魅力を探しに、行田市へ行ってみませんか?