シンプルな原料で、手間をかけて作る
「こ、ふぃなんしぇ さやままっ茶」は、埼玉小麦の旨みと狭山まっ茶の上質な苦みを楽しめる、食べやすいサイズのフィナンシェ。茶葉を特殊製法で蒸し上げることで、みどり色が深く・濃く仕上げられています。代表取締役副社長の土田康太さんによると、一般的には狭山茶はお菓子に加工すると苦みが出やすいが、その苦みをあえて活かし、ミネラル豊富な粗糖の甘さとの絶妙なバランスで生まれたのがこの商品。香料や着色料は使用せず、原料にこだわって開発されました。「『こ、ふぃなんしぇ』はお菓子としては後発。だからこそ、安心安全でシンプルな原料にこだわりました」と土田さん。添加物を増やしたほうが安定製造・大量生産できますが、手間がかかっても“味”にこだわり、素材を大切に製造しているのです。
試行錯誤を経て生まれたフィナンシェ
お菓子の製造・販売は、粉問屋であるつむぎやにとって、新たな挑戦でした。つむぎやの主力商品である乾麺には、贈答文化に支えられている背景があります。しかし時代はうつり変わり、お中元やお歳暮の贈答用として乾麺を使う人は昔に比べて減っています。粉問屋として新しいことができないかという思いから発案されたのが、小麦粉を使ったお菓子の製造。最初はどら焼きにチャレンジし「自信作」と言えるものができたのですが、問題は賞味期限の短さ。乾麺は日持ちがするためお客さんの来店頻度は低く、結果的にどら焼きの認知度もなかなか上がりません。試行錯誤の結果、甘さをおさえた味わいのどら焼きを冷凍販売することになります。しかし、これでは手土産として使いにくい。そこで考案されたのが、常温で日持ちするお菓子・フィナンシェでした。
当初は通常サイズのフィナンシェのみ販売していましたが、お客さんの「小分けできるサイズが欲しい」という声から「こ、ふぃなんしぇ」にたどりついたとか。「こ、ふぃなんしぇ」の「こ」には、“小さい”の意味のほかに「Co」(皆で・共同などの意)という意味も含まれています。つまり、「みんなが集まったときに手に取っていただきやすいお菓子」という想いが込められているのです。
つむぎやに続く、切り絵のアイデンティティ
「こ、ふぃなんしぇ」のパッケージには、“切り絵”の技術が使われています。というのも、つむぎやは切り絵作家・滝平二郎さんと強い縁で結ばれているから。実は、つむぎやの2代目(土田さんのお祖父さん)と滝平さんは太平洋戦争時の戦友。お互い無事に戦争を生き延び、お祖父さんは製粉、滝平二郎さんは切り絵作家の道に進みます。その縁がつながって、乾麺シリーズのパッケージに切り絵を起用するようになりました。切り絵を使うアイデンティティは二人が亡くなってからも脈々と受け継がれ、つむぎやのロゴも切り絵がモチーフになっています。
「続いてきたものをガラリと変えるより、受け継がれてきたものを大事にしたい。そのうえで、新しい時代に向けたデザイン性も大切にしていきたいと思っています」と土田さん。「こ、ふぃなんしぇ」のパッケージはおしゃれで洗練されているように見えますが、よく見ると書体など細かなあしらいに懐かしさを感じます。受け継がれてきたアイデンティティを活かす、という考えが反映されたパッケージなのです。
苦難を乗り越え、土田物産株式会社設立
つむぎやの前身である製粉工場を立ち上げたのは、土田さんの曽祖父。西洋の文化が日本に流れ込んできた1912年(大正元年)のことでした。新たな価値観が日本に入り込んだ結果、意欲旺盛な人が多く「事業をはじめるなど、個人で商いを始めることなどが非常に盛んな時代だったと聞いています」と土田さん。初代も例外ではなく、茨城県結城市で製粉工場を創業しましたが、政府の調整により移転することになり、再始動する地として選ばれたのがここ、久喜市・栗橋(当時は栗橋町)だったそうです。1937年(昭和12年)に「栗橋製粉」が設立。
1961年(昭和36年)には栗橋製粉を災難が襲います。工場が火災に遭い、全焼してしまったのです。輸入小麦が増えていた時代背景もあり、製粉会社の道を断念。1963年(昭和38年)に、粉問屋「土田物産(現つむぎや)」として生まれ変わりました。
小さな粉問屋の挑戦
日本に流通している小麦粉の9割が輸入物。差別化が難しいため価格競争になり、小さな粉問屋が大手に勝つことはできません。土田物産ならではの特徴を出すため、注目したのが地元・埼玉の小麦でした。埼玉は、実は全国有数の小麦どころ。より個性的な問屋を目指すため、土田物産は埼玉小麦を使った麺の開発に挑戦。今では、うどん・冷麦・そうめん・きしめん……と、様々なシリーズを開発・販売しています。
想いのあるスタッフがつくるお菓子
「こ、ふぃなんしぇ」は素材や製造方法が繊細なため、大量生産には向かないお菓子です。季節や湿度に応じ、生地の状態を細かく調整しなければなりません。製造工程をすべて熟練の職人が管理をしているのか…。と思いきや、実は「こ、ふぃなんしぇ」を作っているスタッフには地元栗橋に住む女性社員も多い。「働ける時間は家庭の事情もあるので限られるかもしれないけど、良いものづくりに携わりたい。品質の高い仕事をしたい…。」そんな想いで働いてくれている方が多いそうです。
また、お互いの業務が忙しい時期などに製造スタッフが販売、販売スタッフが製造をフォローするなどそれぞれ異なる経験することもあるのだとか。「こ、ふぃなんしぇ」がどのように作られ、どんな人の手に渡っているのか…。携わるスタッフたちが“商品がどう作られるか”や“商品の行き先”を想像できる環境も、つむぎやの強みです。
埼玉土産を越え、「美味しいお菓子」として人気に
つむぎやは栗橋本店のほか、エキュート大宮(JR大宮駅内)にも店舗展開しています。埼玉小麦と狭山茶を使っている「こ、ふぃなんしぇ」は、“埼玉土産”として最適のお菓子。そのため、ゴールデンウイークやお盆、年末年始といった“人が動く時期”は販売が伸びるそう。
土田さんいわく「最初は埼玉の方が県外に出るときに買っていただくイメージでしたが、県外の方からインターネット注文を受けることも多い」のだとか。お土産として受け取った方が「こ、ふぃなんしぇ」を気に入って注文してくれているそうで、埼玉土産としての立ち位置を越え「純粋に“美味しいお菓子”として受け入れていただけているのが非常に嬉しく、新しい発見」(土田さん)と言います。
花があふれる活気ある街
久喜市には関東最古の大社、お酉さまの本社と云われ、武士に崇敬されてきた鷲宮神社があります。アニメの聖地としても注目を浴び、日本全国はもとより海外からも多くのファンが参拝に訪れています。四季を通して花の祭りやイベントも盛んで、一面が美しい紫色に染まるラベンダーフェスティバルのほか、7月の久喜提灯まつり「天王様」は多くの提灯を纏った巨大な山車が市街を練り歩きます。