しらさぎの麗しい姿を見て生まれたお菓子
白鷺宝は、職人の手で一つひとつ丹念に作り上げられた埼玉銘菓。浦和花見の2代目・染谷喜興司がこの町の名物を作りたいと考えて生まれたお菓子です。あるとき、2代目は野田の鷺山にしらさぎが飛来することを思い出します。足を運び、しらさぎが水辺にたたずむ麗しい姿に魅入られ「また来年も、この地で出会えるように」と思いを込めて作り上げたのが白鷺宝。
白鷺宝という名前にも、逸話があります。2代目が亡くなる直前、ベッドの上で考えたのがこの名前だったとか。ある意味、白鷺宝は2代目の人生をあらわすようなお菓子なのかもしれません。
4代目であり常務取締役の染谷博之さんによると、白くて丸い白鷺宝の形は「白鷺の卵」を模したもの。また、包装紙にもこだわりがあり「完全に包装するのではなく、ふわっと包む。これはしらさぎの“巣”をイメージ」(染谷さん)しているのだそう。誕生の背景や包装のこだわりを知って白鷺宝を口に含むと、美しいしらさぎの姿が浮かび上がるようです。
製法は変えず、時代に合わせ味は変える
白鷺宝が誕生して以降、製法はずっと変わっていません。ただ、味は少しずつ変化しているのだとか。染谷さんが言うには「時代に合った味」に合わせ変えているのだそう。例えば、砂糖が高級食材だった時代。この時代は、どれだけ砂糖を使うかが“良いものかそうでないか”の基準であったため、今では考えられないほど砂糖を使っており、相当甘かったのだとか。「時代が変わったので、甘すぎるのも良くない。“どうやってすっきりした後味を残すか”を重視するなど、時代とともに味は少しずつ変化させています」と染谷さんは語ります。
とはいえ、急に味を変えることは絶対にしません。1年くらいかけて少しずつ配合を変えていくので、頻繁に食べる人ほど味の変化には気づかないそうです。
職人の手でつくる繊細な味
年単位で配合を変えるなど、白鷺宝はかなり繊細に製造されています。また餡の材料はとてもシンプルで、白餡・砂糖・水飴・卵のみ。シンプルだからこそ、少しでも配合や練り方が変わるだけで味が激変してしまいます。例えば、少しでも水分量が多いとべチャッとした食感になってしまいますし、火を強くし過ぎるとパサついてしまうのです。そこで肝になるのが、職人が長年かけて培ってきた感覚。ギリギリのラインを調整しながらの製造は、完全に職人技。白鷺宝のすべてを理解している職人は数名のため、この技術や絶妙な感覚を後世に受け継いでいく必要があります。
つくりたてを届けるための経営戦略
1912年(大正元年)、浦和区高砂町の小さなお菓子屋さんから「菓匠 花見」はスタートしました。当初はなかなかお菓子が売れず、初代・染谷七郎は浦和から戸田と東京都板橋をつなぐ戸田橋までリヤカーで売りに行っていたこともあるのだとか。
潮目が変わったのは、白鷺宝が誕生してから。最初はなかなか売れなかったそうですが、バブル期に浦和・伊勢丹に出店すると、一気に業績が伸びはじめます。あまりにも売れすぎて製造が追いつかず、店舗に白鷺宝を並べられないこともあったとか。そんな時代を経ながら、埼玉・東京に店舗を拡大していきます。
全国展開しないのは、白鷺宝の賞味期限が1週間しかないため。ほかも日持ちのしないお菓子が多く、できるだけ作りたての美味しいものを届けたいという想いから、店舗は近郊のみに限定しています。「店舗を拡大するというより、今ある店舗を充実させていくのがうちの経営方針です」と染谷さんは話します。
代々通ってくれるお客さんの支え
手土産として使われる機会の多い白鷺宝ですが、実は“自宅用”で購入されることも多いそう。「贈り物需要が減ったコロナ禍に気付いたのですが、ご自宅用に買って行かれる方が本当に多いんです。びっくりしてしまいました。いつも食べているものだから手土産にしてくれていた。結局、地元に支えられていたんだなとコロナ禍で思い知らされました」と染谷さんが感じるほど。白鷺宝が、“埼玉銘菓”として各家庭に愛されていることが分かります。
お店に通ってくれる常連も、“代々来ている”方が多いそう。「おじいちゃんが好きだから買いに来ました」「もう長くないおばあちゃんが“最後に白鷺宝を食べたい”と言ったので」……と、家族代々、長く白鷺宝に親しんでいる方がたくさんいるのです。「“お客様を裏切れない”と、責任を感じますね。利益ベースで商売していてはダメだ、中途半端なことはできない……と身が引き締まります。だからこそ、商品のクオリティはもちろん、接客まで手を抜きません」と染谷さんは語ります。
全店舗に共通するコミュニケーション
「菓匠 花見」は本店のほか、日本橋三越、銀座三越、そごう大宮など、埼玉・東京に7店舗展開しています。そのすべての店舗で共通しているのが、“1個単位”で購入できること。売り手としては箱に入った状態で販売するのが早いし楽ですが、どんなに手間がかかってもバラ売りを貫いています。販売員は、お客さんとの会話のなかで予算や必要量、好みなどをヒアリングし、提案。毎回販売するものが変わり、値段も異なるので、販売員としては大変です。でも、お客さん的には「好きなものを好きなだけ買えて、予算にも合う」というメリットがあります。
頻繁に来てくださるお客様とは、“前回購入いただいた〇〇はいかがでしたか?”“○○が美味しかったよ!”など会話も生まれるとか。お客さんと血の通ったコミュニケーションをしているからこそ、長く愛される商品・お店になっているのでしょう。
地元愛の強い市民性
さいたま市で生まれ育った染谷さんは、「この辺の人はみんな地元愛が強い」と言います。さいたま市内でも、浦和・大宮・与野はそれぞれ異なる地元愛を持っているそう。静かで治安が良く、文教都市の浦和。鉄道と商業の町として発展した大宮。人間味がありお祭り好きで、枠にとらわれない与野。……それぞれが、自分の生まれ育った町に深い愛情を抱いていることを感じるそうです。
さいたま市には2000年以上の歴史がある神社やファミリーに人気の鉄道博物館、ライブが盛大に開催されるさいたまスーパーアリーナ、世界中から注目されている盆栽の聖地など誰がきても楽しめるスポットがたくさん!是非さいたま市に遊びに来てください。